神衛の理念2 合気道学校であること

神衛の理念1 合気道学校

神衛は、合気道を通じて人間の能力を高め(強くなる)、その人の人生が幸せになる事を実現して頂く為の団体です。

コツで出来る何々、脱力で出来る何々、と謳う書籍が、書店の武道格闘技コーナーに置いてあるのを見た方も多いかもしれません。神衛の会員にも、そうした書籍から合気道に興味を持った人もいらっしゃいます。

そうした書籍で得られる事が1とすれば、神衛で得られる事は、大袈裟ではなく1000倍とか、そういう話になります。「基本もないのに」コツ、「力もないのに」脱力、など、落ち着いて考えれば、甘言を売り文句にしている書籍に問題があるのは分かりそうな事です。

神衛では、相手に倒されないようにする、相手を倒せるようにする、という事を技法にて身に付けて頂きます。

技法の習得には反復練習をする必要があり、そのため修得には一定の期間を要します。修得するまでの間は稽古に通って頂く事になります。

その時に、多くの注意を要します。

教えるー教わる、という関係が生じると、教わる側が人間関係の下位になる事を強いられたり、それがなくても委縮した気持ちになりやすくなります。

既に出来上がっている人間関係の中に入っていくと、後から入る人が人間関係の下位になる事を強いられたり、それがなくても遠慮から委縮した気持ちになりやすくなります。

道場という場所が敷居が高いと思われるのは、自身が委縮してしまう事を想像してのイメージだと思われます。

また、団体構造として宗教団体にあるような、神、神に近い人、神に近い人に近い人、一般の人、というような序列が作られやすくなります。 これを武道団体でおきかえれば、達人、達人に近い人、達人に近い人に近い人、一般の会員です。

新しく入る人は立場が弱いので、上位の立場の人の言う事を聞かざるを得ません。周囲も上位の人達の言う事を素直に聞いている状況であれば、自分も同様に従うだけです。そこに所属をして、その団体に貢献をする事が、その人にとっては正しい事で幸せになる事だというような感覚になる危険もあります。

果たして、そのような常識がまかり通る環境の中で、人としての強さを考える機会はあるのでしょうか。上位者の言う事を信じていれば、いつかはきっと自分も達人、と自分に思い込ませているだけの「信者」となっているかもしれません。

信じる事は悪いとは言いませんが、実際は他者へ依存している事を、自分が都合良く解釈している可能性もあります。

また、依存や盲信から開く能力もあるかもしれません。しかし、依存や盲信の対象が消えた時の事を考えれば、それは本当の意味での人間の強さにはなっていない事が分かります。

神衛では、合気道を学ぶ事で、そうした事の判断も出来るようになって頂ける事を考えています。

団体を率いる立場の私達からすれば、自分達が団体の上位にいる限りは盲信してくれる信者が多くいてくれた方がとても楽です。そして気分もきっと良いでしょう。しかし私達は誇りを持って武道団体としての活動をしています。

このような考えで私達は、人間関係や団体構造の特殊性から生じるマイナスの可能性を除去する為に、神衛を学校としての運営をしています。飲み会などがないのは、そうした理由からです。

2019年4月1日