代表者

神衛 代表の久島(くしま)です。
GOLD’S GHM格闘技スクール講師(2002年~2012年)
NHK文化センター講師(2004年~2009年)

皆様はじめまして。神衛のホームページにお越し頂きましてありがとうございます。
かなり長い文章になりますが、神衛に興味がある方には知っておきたい事だと思いますので書きました。読みやすくするように適宜編集を加えていきます。

【合気道を始めるまでの流れ】

中学生の時は柔道部、高校生から空手道場に通いました。落合の高山ビルの横が空き地だった頃の木曜日午後に、養神館本部道場の黒帯研修稽古で塩田剛三館長が指導をされているのを見学しました。その時には、自分には合わない世界だと感じて養神館には入門をしませんでした。

その時に私は分かりました。ここでは書けませんが、その時に分かった事は後になって正しかったと明らかになりました。

私が養神館に入門するのは1993年4月です。将来は合気道の指導者になりたいと思っての入門ではありません。塩田剛三先生の著書に「1対複数を考えた武道」という一文があり、それを学びたくての入門でした。

【自分の来歴】

私は長崎県の対馬で生まれました。父は対馬のレーダーサイトに勤務する自衛官で、母は対馬の人です。そういう事で、多勢の元寇に襲撃された時に服従せず少数でも立ち向かった対馬武士に強く憧憬を持ち、今日まで生きてきました。自分一人で複数を相手に対応出来る格闘技が私のテーマであり、恐らくそれを研究する宿命に生まれてきたのだと思うようにしています。

私の名前は俊樹と言いますが、父の上司が名前を考えて下さいました。父が対馬のレーダーサイトに勤務していた時、一般の人は立ち入り禁止であるその施設に赤子の私は父に連れられていき、そこの職員の皆様には大変に可愛がって頂きました。自衛官の道に進まなかった事につきましては大変申し訳ございません。

【塩田剛三先生について】

合気道養神館を創設されたのが塩田剛三先生であり、その功績に敬意を持つとともに自分が養神館合気道を学べる事も塩田剛三先生のおかげでもあるので感謝の念を持っています。私が養神館に入門して一年後に他界されてしまったのが残念です。

塩田館長から直接何も教わる事が出来ませんでしたので、塩田館長の息子(三男)や塩田館長の動画で受けを取る方達に私は直接、塩田館長から教わった事を「自分にも教えて下さい。」と教わりにいきました。しかし全員が
「塩田館長は何も教えてくれていない。塩田館長は誰にも教えない。自分で研究するしかなかった。」
と言われました。

また私は、初段は塩田剛三先生の高弟から、弐段と参段も塩田剛三先生の別の高弟から、四段は千田務先生(当時養神館本部道場長)から段を頂いていまして、四段取得後に千田務先生が養神館を離れる事になってしまい守破離の離という状況で五段からは拝師していません。

そうした経緯から晩年の塩田剛三先生の受けを取っていた異なる先生方から指導を受けるという稀有な経験があるの事が私には幸運でした。

同じ技法でも、先生によって解釈が変わっていて、同じ技の同じ動作にも違いがあり、先生どうしで「俺の方が正しい」という意識はあったと私は解釈しています。(弐段と参段を私に下さった先生は、塩田剛三先生の霊が自宅に来たから自分は正しいという事を言われてましたが、私はご冗談だと思っています。)また、正しい、という言葉については私なりに考えて、一応の持論はございます。

そのうちに、合気道の技は人間が表れる、つまり、合気道を正しく学べば、その人の合気道というものが表れる、植芝盛平先生と塩田剛三先生の合気道が違うように見えるのは人間の違いである、という結論に達しました。

私の身長は180センチありますので、身長154センチの塩田館長とは動きが違います。どちらかと言うと四段までご指導して頂いた錬身会(当時養神館本部道場道場長兼主席師範)の千田務先生に似ていると思います。

私は塩田剛三先生とは体格の違いもあり動きは似ていませんが、技術的な誤りではありませんのでご理解を頂きたくよろしくお願いいたします。

【自分の実戦経験】

塩田剛三先生の武名が高いのは、塩田館長の師である植芝盛平先生の物真似が上手であるからではありません。実際に戦った実績がいくつもある事が根本にあるからです。私が養神館に入門したのは塩田館長の著書に書かれていた「1対多数」の他に塩田館長の実戦経験の話を読んだ事も大きな理由になっています。

現代社会において塩田館長のような実戦を行う事は社会的に許されるものではありません。それでも私が神衛に来て欲しいと思う人が私に興味を持ってくれる為に書ける範囲で事実を書きます。

ーーー対人の場合

神衛の会員さん達の目の前で、私は幾度も他流試合的な事は挑まれて仕方なく応じてきた事はあります。
養神館本部師範の目前でも私は挑戦に応じています。
そのどれもが小学生をいじめるような結果となり、何の自慢になる話ではありません。
私が強いのではなく、相手が小学生レベルの強さで勝手に思いあがっていただけです。

私は2002年から2012年までGOLD’S GYMサウス東京アネックスという店舗の格闘技スクールの講師をしていました。
そこでベンチプレスを最低150キロ挙上してしまうようなトレーナーの人達が実験台になってくれて、コロコロ転がってくれました。
「違う合気道の先生に技をかけられた時は余裕で抵抗で来たのに、これは抵抗をしたら骨折する。」
と言ってくれました。その時のトレーナーによるレポートはGOLD’S GYMのWEBサイトに掲載されていました。

米国のプロスポーツチームのトレーナーの奥様がGOLD’S GYM格闘技スクールでの私の教え子でした。彼女から
「来週アメリカに戻るのですが、うちの主人に合気道の技をかけても全く効きません。悔しいのでアメリカに戻る前に先生が主人を投げてくれませんか。」
とお願いされました。
ドラム缶に手足が生えたような巨体を持つご主人は本当に私の前に姿を現しました。アメフトのタックルで私に襲い掛かりましたが、彼は空中を浮いて床にバウンドして落ちていました。奥様がニコニコされて
「先生、本当にありがとうございました。」
と沢山お礼を言われ、そのご主人からもファンタスティックな体験が出来たとお礼を言われました。多くの人達の前で行われた事です。

神衛には戦技研という実戦対応訓練のクラスがあります。上記の話は全て戦技研の成果と言っていいものです。

戦技研での話をすれば沢山の話がありますが、この辺にしておきます。

人として誠実であり、日々努力をして、他の人への配慮をし、明るく優しい人、そういう人と私は戦うつもりは全くありません。男女を問わず、私はそういう人間的に立派な人を暴力から守りたいという気持ちを持っています。また、私が戦って負けるならば、そういう人に対して私が間違えた考えで戦いに臨んだ時でしょう。

この世の中には生かしておいてはいけない奴がいます。そいつらに負ける訳にはいきません。私が戦う相手はそいつらであり、そいつらに対して私は強く時に残酷であらねばならず、そいつらを片付けたら撃墜マークのように戦果を誇りたいと思っています。

共感してくれる人がいれば、と思い「実戦経験」という余計な記述をしました。小学生レベルの成人男性の挑戦を大人の余裕であしらえず、ムキになってしまった自分を今では恥じています。

―――対人以外の場合

一歩間違えれば大事故となり死に至っていたか、一生残る怪我を負うであろう状況に追い込まれた事が数回あります。それらを無事に回避出来た事は、私が持って生まれた特質によるものかもしれません。

しかし、そのような特質は訓練によって後天的に身に付けられる能力だと私は考えています。事故に遭わないようにする事が第一ですが、自分の責任では不可避な状況で起きる事故において、正しい判断と勇気ある行動で危機を切り抜ける能力が身に付く事を神衛での稽古の目的に加えています。

【神衛の信頼について】

神衛は養神館合気道を指導する道場(学校)です。そして普通に合気道を学ぶだけの場ではなく、型稽古である合気道だけで実際の戦いに対応出来るか疑問を持つ人の為に、実戦対応クラス「戦技研」を有しています。そして、それだけではありません。

・養神館合気道
・戦技研(養神館合気道を学ぶ人の為の実戦対応訓練)
・久島流剣術、久島流杖術、久島流警棒術、久島流ナイフ格闘術
・久島流突蹴格闘術(パンチ、キック、投げ、締め)

千葉県警察合気道同好会の方が職場で柔道特練に選ばれたら合気道の稽古後に久島と一緒に柔道の練習を始めたりしています。養神館合気道の柔道への応用技を伝授して、その人は柔道大会で大活躍しました。

大変多くの事を指導しています。あたかもラーメン屋さんなのにカレーライスもメインの商品にしているような、ラーメン屋としてはラーメンに自信がないお店に似た印象を受ける方もいらっしゃるかもしれません。

正しい合気道を指導している自負はございます。武道としての「正しい」という意味は、神衛では上達が格闘に強くなる事を根拠を以って示せる、という事です。戦技研でそれを示しています。その結果、公的機関に神衛の同好会が結成されています。

今まで大きな売り込み活動をしてこなかったので神衛の知名度が低いのは認めます。知られざる神衛、という事です。今後、多くの方に学んで頂き、優れた技術を教える学校だと評価を頂けるように努力していきます。

2020年10月4日日曜日現在、書きかけで終わります。時間が出来次第に文章を追加します。

今から何年も前に書いた駄文があり、当時それを読んでくれた方が、残しておいて欲しい、と言われましたので残します。

夜明けの合気道(駄文集)

代表者